冷戦終結でむき出しになった反日
国家とは「国の家」の認識
 韓国という国家が「溶解」しつつある。東西冷戦の最前線に位置し、北朝鮮と対峙しながら国家形成を進めてきた韓国の国民が、冷戦終焉とともに国家の正統性に胡乱な眼差しを向け始めたのである。そして国家を超えるものとしての血族共同体の中に、新しい国家的アイデンティティー(自己統一性)を探ろうという志向性を強めている。与党ウリ党が親北的で、野党ハンナラ党が親米・親日的だといった単純な話ではない。
 血族的ナショナリズムという情念は、朝鮮半島の人々の遺伝子の中に組み込まれているかのごとくである。北を中国・ロシアという大陸勢力、南を日本という海洋勢力に囲まれ、両勢力のせめぎ合う地政学的空間を生きてきた朝鮮半島の人々は、強い血族意識を持たずして動乱の時代を凌いでいくことはできなかったのであろう。
 朝鮮半島においては、父子関係を軸に血族を縦に継承する父系的社会の伝統が濃い。「本貫」といわれる血族の生成した地を起点として脈々と受け継がれる父系親族の系譜が「族譜」である。そういう系譜の中に自らを位置づけることによって初めて人々の自己同一性が保たれる。
 この家系的構図が国家にまで外延的に拡大され、すなわち国家とは血族を擬した文字通りの「国の家」として認識される。本貫も族譜も長い歴史の中で時に改竄され売買されさえした。その意味でこれは多分に虚構ではあるものの、そうした表象や観念によって「想像の共同体」(ベネディクト・アンダーソン)を強固に維持してきたのが朝鮮半島である。
 それゆえ国家が「外勢」に脅かされれば、強い血族的ナショナリズムが「反外勢」ナショナリズムの形を取って発揚されるのが常である。冷戦下で完全に封じ込まれていた反外勢ナショナリズムが、次第に勢力を増して半島力学を変化させ始めたというのが私の見立てである。反外勢の内実はまずは親北であり、翻って反米・反日である。

制度化の段階にある反日
 半島の分断を固定化してきた外勢は直接的には米軍であり、したがって反外勢はまずは反米という形を取る。事実、盧武鉉政権は、米軍装甲車による二人の女子中学生の轢死事件に端を発した反米運動の中から生まれた。核兵器保有の疑惑が濃厚となり、軍事境界線の北方に無数の砲門をソウルに向けて配備する北朝鮮を眼前に控えながら、盧武鉉政権はいよいよ反米的であり、親北的である。
 ソウルを流れる大河漢江の以北、軍事境界線までが韓国の広い意味での前線である。ここに駐留する米第二師団の存在こそが韓国の守りの要である。南侵する北朝鮮軍に最初に応戦するのが米軍であるがゆえに南侵が抑止され、また南侵が米軍を危機に晒すがゆえに米軍による北朝鮮先制攻撃の抑止力が働くという論理である。この米第二師団の大幅削減がすでに進行中である。このことは駐留継続による「韓国リスク」の方が「北朝鮮リスク」よりも大きいと考える米国の、要するに韓国嫌悪感の反映であろう。
 韓国の独立以来、この国が親日的であったことは、朴正煕時代の一時期を除いてほとんどない。盧武鉉政権にいたり反日はついに制度化の段階を迎えた。日韓基本条約が成って40年の昨年は「日韓友情年2005」であったが、その前年の12月には「反民族行為真相糾明特別法」が超党派議員の共同提案によって成立した。日本統治時代の対日協力者を糾弾するための特別法である。事後法によって独立以前の日本の「罪科」を裁こうという韓国政治家の法感覚は一驚に値する。

粛々と国益主張し行動を
 日露戦争を韓国に対する侵略戦争だといい、これにより竹島が日本によって占領されたという史実を無視した解釈が大統領自身によって表明された。武装警察を常駐させて自ら実効支配をつづけるこの島について、現時点で日本の「不法」を言い立てたのである。この主張に国際社会が耳を傾けるはずもない。韓国は反日という「背骨」がなければまっすぐに立ってはいられないのだろう。
 核保有の疑惑濃厚な北朝鮮に傾き、不条理な反米・反日志向を強める韓国の国際的孤立は年を経るごとに深刻化していくに違いないが、血族ナショナリズムの情念に導かれたものである以上、これを押しとどめることはできない。
 韓国への譲歩は新しい関係を作り出すことに貢献しない。最適な外交的「距離」を保ちつつ、国益を粛々と主張し行動するより他に日本の選択の道はない。

拓殖大学学長 渡辺利夫

2006年6月16日金曜日 産経新聞大阪版朝刊【正論】より