Title   日本外務省ホームページの独島領有権の主張に対する検討
Date   2006-05-11
Contents   1.日本の基本的立場に関して

 

日本の主張

1.我が国の一貫した立場

(1)竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかにわが国固有の領土である。 

(2)韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではない。(注:韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立した以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていない。) 

 □韓国の立場

°日本はいかなる時期にも独島に対する領有権を確立したことはなく、日本の主張は独島に対する大韓民国の権利、権原および請求権を侵害する一方的で不法なものに過ぎない。

°日本が独島領有権の確保を意図したのは1905年の措置によってであり、大韓民国はすでにそれ以前に独島に対する領有権を確立していた。 

1545年の「世宗実録地理誌」、1809年の「萬機要覽」、1900年の大韓帝国勅令第41(以上は韓国政府文書)1696年の江戸幕府の渡海禁止令公文、明治政府の1870年の「朝鮮国交際始末内探書」、1877年の太政官決定文(以上は日本政府文書)1946年のSCAPIN677号、第1033(連合国総司令部公式文書)等は、独島が韓国の領土であることを明確に示している。

 

2.日本が古くより独島を認知していたという点に関して

日本の主張

()日本は古くより竹島(当時の「松島」)を認知していた。このことは多くの文献、地図等により明白である。

(注:経緯線投影の刊行日本図として最も代表的な長久保赤水の「改正日本與地路程全図」(1779)では現在の竹島の位置関係を正しく記載している。その他にも明治に至るまで多数の資料あり。)

 

 □韓国の立場

    °独島に対する認知は文献上、韓国が2百年以上早く、独島は鬱陵島から肉眼で眺めることはできるが、隠岐島からは全く見えない。

°私撰地図である「改正日本與地路程全図」は独島を鬱陵島の隣に並べて併記しているが、独島が日本領であるというなら、並べて描いた鬱陵島に対しては何故日本領だと主張できずにいるのか?

°  また、韓国の各種地図には対馬が記載されているが、それならば対馬を韓国の領土として認めてくれるのか? 

 

3.渡海免許に関して

 

日本の主張

(ロ)江戸時代の初期(1618)、伯耆藩の大谷、村川両家が幕府から鬱陵島を拝領して渡海免許を受け、毎年、同島に赴いて漁業を行い、アワビを幕府に献上していたが、竹島は鬱陵島渡航への寄港地、漁労地として利用されていた。また、遅くとも1661年には、両家は幕府から竹島を拝領していた。

 

 □韓国の立場 

°渡海免許は国内の島への渡航には必要のない文書であるため、これは鬱陵島・独島を日本の領土と認識していなかったという事実を立証する文書である。

° また、すべての土地が領主のものである封建社会において、幕府が大谷や村川のような平民に独島を分け与えるというのは当時としてはありえないことである。

°  日本の池内敏教授は、渡海免許自体に信憑性がなく、せいぜい1回用に過ぎないものであったと指摘している。

 

4.渡海禁止令以後の独島への渡航禁止に関して

 

日本の主張

()1696年、鬱陵島周辺の漁業を巡る日韓間の交渉の結果、幕府は鬱陵島への渡航を禁じたが(「竹島一件」)、竹島への渡航は禁じなかった。 

 

 □韓国の立場 

°16961月の江戸幕府の渡海禁止措置以降、大谷、村川の両家は破産に至った。もし独島渡航まで禁止したのでなければ、破産に至る理由はない。

° 鬱陵島・独島に対する渡海禁止で、日本では「松島」「リヤンコ島」「ランコ島」「竹島」等、独島のみならず鬱陵島の名称までもが不明確化しはじめ、地理的な位置も完全に忘却するに至った。

 

5.近代以降の日本の独島に対する実効的支配の主張に関して

 

日本の主張

()日本は1905年(明治38年)、1月の閣議決定に続き、2月の島根県告示により竹島を島根県に編入し、竹島を領有する意思を再確認している。その後、竹島は官有地台帳に掲載され、また、竹島でのアシカ漁は許可制となり、第二次大戦によって1941年(昭和16年)に中止されるまで続けられていた。

 

 □韓国の立場 

° 固有の領土だと主張しつつ1905年に編入したというのは無理押しに過ぎない。それならば何故、他の固有の領土は編入措置をしなかったのか?それだけではなく1905年の措置で、当初は無住地の先占だと主張していたのを後には領有意思の再確認だと言葉を変えたのは、それだけ根拠が貧弱だという証拠である。

° 1905年以後に取られた日本の措置は、韓半島の強制占領期になされたものであって国際法上無効であり、この時期にも独島は依然として鬱陵島住民の漁労作業地として利用されていた。

 

6.日本政府のいわゆる1905年独島編入措置に関して

日本の主張

1905年(明治38年)の、閣議決定及び島根県告示による竹島の島根県への編入措置は、日本政府が近代国家として竹島を領有する意志を再確認したものであり、それ以前に、日本が竹島を領有していなかったこと、ましてや他国が竹島を領有していたことを示すものではなく、また、当時、新聞にも掲載され、秘密裡に行われたものではないなど、有効に実施されたものである。
(注:領土編入措置を外国政府に通告することは国際法上の義務ではない。)

 

 □韓国の立場

°自国の領土に対して領有する意思があることを再確認するということは、国際法上有り得べからざる弁明に過ぎず、そのような前例もない。

° 1905年の措置はすでに確立されていた大韓民国の独島領有権に対して行使された不法、無効な措置である。大韓民国側は日本の措置を知って即時に大韓民国の領土であることを再確認したが、乙巳勒約(2次日韓協約)によって外交権が剥奪された状態であったために、単に外交的抗議を提起することができなかったに過ぎない。

 

7.戦後の連合国の措置に関して

 

日本の主張

対日平和条約前の一連の措置(1946129日付連合軍総司令部覚書第677号が、日本が竹島に対して政治上又は行政上の権力を行使すること及び行使しようと企てることを暫定的に停止したこと、及び、1946622日付連合軍総司令部覚書第1033号が、日本漁船の操業区域を規定したマッカーサーラインの設置にあたり、竹島をその線の外においたこと)に関する文書は、いずれもその文書の中で日本国領土帰属の最終的決定に関するものではないことを明記しており、竹島を日本の領土から除外したものではないことは明白である。

 

 □韓国の立場 

°連合国総司令部は日本占領期間を通じて、その他の特定の命令を下すことなしにSCAPIN677号を適用していたのであり、対日講和条約締結直後に日本政府も、当時独島が日本の管轄区域から除外された事実を以下のように確認している。

(地図:別添)

 

8.独島が暴力及び貪欲により略取した地域ではないとの主張に関して

 

日本の主張

また、もとより我が国固有の領土である竹島は、1943年のカイロ宣言にある「日本は、暴力及び貪欲により略取したる他の一切の地域より駆逐せらるべし」の「暴力及び貪欲により略取した」地域には当たらない。

 □韓国の立場 

°連合国が戦後の占領期間を通じて独島を日本から分離して取り扱ったことは、カイロ宣言およびポツダム宣言等によって確立された連合国の占領政策を実現したものである。即ち、独島は本格的な領土侵奪戦争である日露戦争中に暴力と貪欲によって略取された韓国の領土であるゆえに、当然に日本が駆逐せられるべき地域であった。

 

9.対日講和条約に関して

 

日本の主張

(注:1951年のサンフランシスコ平和条約において、日本がその独立を承認し、すべての権利、権原及び請求権を放棄した「朝鮮」に竹島が含まれていないことは、米国記録公開文書等で明らかである。)

 □韓国の立場 

°独島は戦後、連合国の決定によって日本から分離されて米軍統治下にあったが、国連決議によって1948815日に大韓民国が独立するや、他のすべての島々とともに韓半島付属島嶼として韓国に返還された。対日講和条約はこれを確認したものに過ぎない。

 

10.国際司法裁判所への付託の提議に関して

 

日本の主張(在韓国日本大使館ホームページ掲載韓国文)

(21954年(昭和29年)9月、日本は本件問題について、国際司法裁判所に提訴することを提案したが、韓国側はこの提案を拒否した。また日韓両国間では国交正常化時に「紛争解決に関する交換公文」を締結した。)

http://www.kr.emb-japan.go.jp/other/other_111.htm

 □韓国の立場 

°日本は敗訴が予見される南クリール諸島(北方領土)や、勝訴しても別段よいこともない尖閣諸島については国際司法裁判所への付託を拒否しつつ、唯一独島についてのみ付託を主張している。その理由は、現在韓国が独島を実効的に支配しているため敗訴したとしても現在以上に損害をこうむることがないからである。

° 独島は国際司法裁判所で解決可能な法的問題ではなく、日本帝国主義の韓半島侵略に起因する歴史問題であるゆえに、裁判所で扱う対象ではない。

°紛争解決に関する交換公文は、韓日基本関係条約等、本協定の内容を明確にすることや補足するためのものであるから、独島は交換公文の規律対象ではない。